社長経歴

世界恐慌直後、東京のど真ん中に生まれました。すぐに日中戦争が起こり、食糧の配給が始まりました。国民学校に入る直前に第二次大戦が勃発し、田舎の寺に疎開して里山の百姓生活を学びました。艦載機の機銃掃射を浴び、何時もひもじい思いをした欠食児童でした。

終戦後、東京に戻って見たものは、焼け跡での食料生産、軍人さんたちの凋落と、新興成金の入れ替わりでした。少し落ち着いた頃、朝鮮動乱が始まり、焼けただれた金網ですら飛ぶように売れ、食料畑が花畑に変わり、日本経済復興の兆しを目の当たりにしました。

大学時代、フランスの技術を日本に紹介する協会の秘書のアルバイトをしました。当時の通産省石炭局がエネルギー政策立案の一環として、石炭埋蔵量を調査するため、フランス人コンサルタントと共に、北から南まで日本の炭坑をくまなく巡りました。

大学卒業後、商社に就職し、入社3年目には華やかなパリ駐在を経験しました。しかし、その後は世界中のへき地を転々としました。

30歳を前にしてメコン開発でラオスのダム建設に携わり、華僑や印僑といった人々とも付き合いました。当時、隣国ベトナムは戦争の真っ最中で、米国国際開発庁、CIA(中央情報局)とも仕事をしました。残念ながら、ダム完成を目前に帰国することとなりましたが、息つく間もなく、今度は中東に飛ばされ、仕事を通じてイスラムの世界を覗きました。第4次中東戦争をきっかけに、レバノン内戦のためバグダッドへの移住を余儀なくされました。オイルショック後、中東各国の国家計画立案に関与しました。

4年間にわたる中東生活のあと、大阪赴任となりました。そこでは、中小企業の真髄をいろいろな経営者から学びました。その後東京に戻り、これまで培った人脈や経験を活かしてODA(政府開発援助)などの案件形成を進めてきました。特にベトナムやマレーシアなど、ASEAN(東南アジア諸国連合)の主たる国の開発計画立案を手がけ、今日それらが各国の経済発展の礎となっています。

その後、コンサルタント会社を立ち上げ、英国貿易産業省をはじめ、オーストラリア、北欧、オランダなどの開発援助機関、あるいは、世界銀行、欧州復興開発銀行、アジア開発銀行などの仕事を通じ、アジア、豪州、東欧、南欧の国づくりに関与しました。

以上が私の経歴です。日本環境コンサルタント株式会社では、人生の集大成として、こうした私の経歴を十二分に発揮し、日本そして世界の国づくりや人づくりに寄与していく所存です。

日本環境コンサルタント株式会社
代表取締役社長 村野隆一